うたこく(歌国)

国語や歌の詞について考えたことを書いていきます。

櫻坂46「BAN」の深い歌詞の意味を考察!〜この歌をハッピーエンドにするかはファン次第!〜

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賛否両論ある「BAN」の歌詞

「BAN」は櫻坂46の2ndシングル『BAN』の表題曲で、森田ひかるさんがセンターを務めています。

 

「BAN」とは「禁止・追放」などを意味する英語で、最近ではSNSやネットゲームなどでルール違反をした人が利用禁止になることを指したりなど、日本語としても定着してきています。アイドルの表題曲としては強い響きの言葉ですね。

 

ダンスも曲も格好良く印象的ですが、歌詞については発表当初から賛否両論あるようです。

それらを見てみると、その分かれ目は「この歌詞を前向きなハッピーエンドの曲と捉えるかどうか」にあるようです。

 

今回は、

■「僕」はどんな人間?
■最後はハッピーエンド?

という疑問を中心に考えていきます。

 

まだ、曲を知らない方は、こちらのMVも見てみてください。


www.youtube.com

 

目次

 

歌詞の大きな流れをチェック

取り残されていく主人公の「僕」

明け方までスマホで動画観てた
それじゃ起きられるわけがない
全てのことに遅刻して
今日もサボってしまった
カップ麺 お湯を注いで
「それなら寝てりゃよかった」
なんて あくびしてたら麺が伸びた 

歌詞は主人公が寝坊してその日の全てのことをサボってしまったところから始まります。

バイトか友達との約束か分かりませんが、「今日も」ということからはこれまで何度も遅刻してしまっていることが分かります。

さらには遅刻を焦る訳でもなく「それなら寝てりゃよかった」と開き直り、カップ麺すら伸ばしてしまう姿からは「ダメ人間」とも言える主人公像が見えてきます。

 

何になりたい 何をやりたい
いつからだろう 夢を見てない
ずっと ゲームしてるうちに
いつしか大人になってた
みんな どこへ行ったんだ?
なんでそんな忙しいの?

無邪気な将来の夢を追い求めていく子供の頃から、だんだんと現実的な将来像を考えていく時期に差し掛かった時に、自分にできることや、本当にやりたいことが何なのかを迷ってしまうことは、誰でも経験しているのではないでしょうか

 

そんな中で「夢を見ていない」と将来のことを考えるのをやめて、ゲームに没頭しているうちに、年月だけが経っていきます。

周りの友達は、夢と現実の折り合いをつけていき順調に就職をしていく中、主人公である「僕」だけ取り残されていきます。

遊びに誘おうにも友達には「その日は忙しい」と断られ、だんだんと自分だけが残されていくことを実感させられます

 

ちょっと待ってよ
「時間はあんなにあったじゃないか」

この「時間はあんなにあったじゃないか」というセリフは次の3つの可能性が考えられます。

①周りの友達からの言葉
②「神様」からの言葉
③「僕」が自分自身を責める言葉

それぞれ考えてみましょう。

 

①は、「みんなどこへ行ったんだ?」から「ちょっとまってよ」の言葉に対して、「一人だけ何をしているの?」周りの順調に大人になっていく友達が非難しているという考え方です。直接言われたと言うよりも、周囲からそのような視線や圧力を感じていると読めます。

 

②は、これまで様々な救いの手やヒントを出してきた「神様」が、それでも変わっていかない「僕」に対して、「BAN」を宣告するきっかけの言葉のように読めます。

 

③は、遅刻などを開き直っていながらも、一方では、これまでの人生を振り返り、後悔している主人公像が読み取れます。

 

私は①~③どれも当てはまるように感じています。もしかすると、そういった何重もの意味を込めたセリフにしているのかもしれません。皆さんはどう考えますか?

 

焦りは確信に変わる

人生の電源切られるように
僕だけ退場ってこと?

これまでもなんとなく「このままじゃいけないのでは?」と考えていた「僕」ですが、ある瞬間をきっかけにその思いが確信となり、焦りが急速に襲ってきます。

 

BANされても
禁止されても
ダメだって言われても
もう 今さら
違う自分に
なれるわけないじゃない?
BANされても
禁止されても
やめろって言われても
わかりました
改めますって
反省なんかしない
神様 何がいけないんですか?
どこがその基準なのか知りたい

友達や世間という「みんな」から取り残され、取り返しのつかないところまできてしまっていることを確信していながらも、「ここから切り換えていこう!」とはなりません

それどころか「神様」に対して噛み付くように不満をぶつけます。

大人に叱られた小さな子どもが自分が悪いと分かっていながらも怒り出すようなもので完全な逆ギレです。

 

振り返り、反省してみるものの・・・

いっぱいあった時間の砂は
何もしなくても消える
僕が その気になったら
何でもできると舐めてた
ここで何をやってるんだ?
遊んでるのは僕一人
誰か教えてよ

「みんな」との差を確信したことで、過去に対する後悔が一気に噴出します。

まさに前半の「時間はあんなにあったじゃないか」という一言に集約される後悔ですが、ようやくここから成長していくのかと思いきや・・・

 

「変わらないっていけないことなの?」

ここまで後悔をしながら、浮かんでくる言葉は自分を弁護する理屈です。

かなり強固な「ダメ人間」っぷりですね。

 

いや、「変わろうとする僕」がいる一方で、「変わることを恐れる僕」が必死で引き止めようとする激しい闘いかもしれません。

 

それを表現するかのように、MVでも前半の「時間はあんなにあったじゃないか」をセンターの森田ひかるさんが言っているのに対し、このセリフはそれを両サイドで挟む渡邉理佐さんと小林由依さんが言っており、あえて話者を変えています。

 

欅坂46の「アンビバレント」を思わせる二律背反な感情が「僕」の中で闘っています。

 

一般的な物語の展開では、【反省→変容(成長)】という流れで、このあたりから「僕」も急速に変わっていきそうですが、この歌ではそうはなりません。

 

今までの自分をいきなり全否定してしまうだけの心の器がまだできていないとも言えるでしょう。

 

受け止めきれない「僕」

いきなりそう一方的に
未来を失格にされた

「いきなり」でも「一方的」でもないのですが、急速に押し寄せる自己否定に対しては、このように考えて自分を守るのが精一杯です。

 

BANされたら
どうすればいい?
知らなかっただけなんだ
もう一回くらい
やり直すために
チャンス与えてくれよ
BANされたら
どうすればいい?
見捨てるつもりなのか?
若さってのは
失敗のための
猶予って信じてた
神様 過ちを許してください
急にそんな宣告するなんて…

世間一般での「幸せ」のルートからBANされてしまったと気づいた僕は、反省をして「やり直したい」と思いますが、そこで出てくる言葉はやはり「知らなかっただけなんだ」や「見捨てるつもりなのか」と言い訳がましく、他力本願なものです

 

根本的な問題として、現状の自分の立場が「自分が作り出したもの」であり、「自分の心持ち次第ではこれからでも変えていけるもの」だという理解が「BANされた」という表現には完全に見られません。

 

見事に、それとは真逆の「運命」とでも言える環境のせいで、「自分では何もできない」という認識を「BANされた」という短いフレーズは表しているといえるでしょう。

 

問題となるラスト

眩しすぎる太陽が
カーテンの裾から漏れる
暗闇が来るまでには
まだ間に合うだろう

この歌を肯定的にとらえる人と否定的に捉える人の解釈が大きく分かれているのが、この部分だと言えます。その点について少し詳しく考えてみましょう。

 

肯定派(ハッピーエンド)的解釈

多くの物語が起承転結として

良くない自分→何かの出来事をきっかけとした「内省」「気づき」→変容・成長

という形をとるため、ここでもその構図に当てはめている捉え方です。

 

すると「太陽」という明るい表現が、これから変わっていく希望に満ちた未来の象徴となり、「まだ間に合う」というのも、大人になったからと言って、長い人生の中では、これからいくらでもやり直せるというハッピーエンドの暗示だと考えられます。

 

それに絡めて先に一番最後の

どんな状況に追い込まれても
僕は絶対BANされるものか

という歌詞を解釈するとすれば、

今までの自分はバカでこんな状況にまで追い込まれてしまったが、今後は同じような失敗(BANされる)なんかはしないで生きていこう!」

という風に捉えられなくもないとは思います。

 

煮え切らない言い方をするのは、私はこの解釈のいくつかの点に不自然さを感じてしまうからです。

 

「ハッピーエンド」と読めるのか?

「不自然さ」とは何か、考えてみます。

気になる点

①「眩しすぎる」太陽

②カーテンを開けることを読み取れる描写がない

③最後のサビは「変わらない僕」

④全体の流れを踏まえると

①太陽が明るい未来や世の中の象徴であると捉えるところまでは自然です。

ここが「眩しい」太陽であれば、「僕」はこれからカーテンを開けて光の中に飛び出す未来が想像できます。

ですが「眩しすぎる」という表現からは、明るい世の中は「僕」にとっては未だ受け入れがたい、飛び出してはいけない場所であることが読み取れます。

 

②その後の「カーテンの裾から」という表現は、部屋のカーテンがしっかりと閉められていて、下からしか光が漏れていない状態です。

これが「カーテンの隙間」とあれば、縦に光が差し込んでおり、そこに手を掛け、シャッと開く動作もイメージできますが、ここではそうではありません。

その後の「暗闇が来るまでには まだ間に合うだろう」という部分についても「だろう」とついていることで、「まだ間に合う!」と 自分を奮い立たせるよりは、希望的観測で再び眠りにつくための言い訳探しのように感じます。

 

ここでは、直前に「このままではマズい!」と確信したにも関わらず、カーテンの裾から差すわずかな明かりを見て、「まだ大丈夫」と安心してしまっているのではないでしょうか。

 

現実と絡めるなら「このままではマズい!」という気持ちに対して「でも、なんだかんだ何とかなるんじゃない?」「まだ大丈夫でしょ?」「こんな自分でも頑張ってはいると思う。」など、「変わりたくない僕」が勝ってしまっていると言えます。

 

③最後に繰り返されるサビは 2サビの「チャンスを与えてくれよ」ではなく、1サビの「反省なんかしない」という内容そのままです。ここに何か変化が読み取れれば、「僕」の成長とハッピーエンドも読み取れるかもしれませんが、残念ながら「僕」は思い悩みながらも成長していくことはありません

※あえて「変化」を探すなら、同じ歌詞でもラスサビはつぶやくように始まってから、後半でまた力強くなっています。

深読みを承知で書けば、ラスサビの最初では「変わりたいけど、そう簡単じゃないんだよ…」と弱気になり、変わっていく方向に傾きながらも、結局後半では自己弁護の「変わらない」という思いが力を持ってしまい、そのままになるという揺れ動きが読み取れるかもしれません。

 

④先ほど、多くの物語の基本構造を

良くない自分→何かの出来事をきっかけとした「内省」「気づき」→変容・成長

 と書きましたが、この歌ではそもそも大きな「出来事」が何も起きていません

 

遅刻もサボりもいつものことであり、バイトをクビになったり、大切な友達から縁を切られたりといった「事件」は何も描かれません。

 

「起・承・転・結」で言えば、実はまだ「転」は起きておらず、あれこれと思い悩みながらも、結局は自己弁護と希望的観測で、日常を続けてしまうという「起・承」の姿までしか描かれていないと言えるでしょう。

 

一番最後の

どんな状況に追い込まれても
僕は絶対BANされるものか

 という力強い宣言も、結局は「日常を変えない」という起承転結の「承」である宣言であり、「弱い自分」が勝ってしまった状態でラストを迎えていると読まざるを得ません。

ここまでの歌詞だけでは、ハッピーエンドとまでは言えないのではないでしょうか?

 

まとめ:ハッピーエンドにするかはファン次第!

ここまで「起承転結」などの言葉を使いながら、読み解いて見ました。

櫻坂46ファンとしては、「僕」にこの曲の中でハッピーエンドまで迎えて欲しいところですが、これまで見てきたように「僕」は変わる事がないまま、いわゆる「ダメ人間」のまま歌詞は終わります。

ですが、それはこの歌が「バッドエンド」であることまでは意味しません。

世の中の物語の中にも起承転結の「結」は書かずにオープンエンドで終わるようなものはあります。

 

また、歌詞の中には何度も何度も「このままではいけない」という「変わろうとする僕」も登場します。

この「今のままではいけない」でも「変わる事は怖い」という二律背反は多くの人が共感するものではないでしょうか。

 

そんな歌詞に対してネット上では「遅刻などは、開き直ってちゃダメだろ」というような「僕」に対して、ひいては歌詞に対しての批判的なコメントも見られました。

 

そう書き込んでいる人は「転」を迎えて、自分を変える事が出来た後の「僕」目線に立っていると言えます。

恐らく、そのままハッピーエンドの「結」を迎えられるのではないでしょうか。

 

一方で、この「僕」の状況に非常に近く、とても共感できるという人は、ここからどのような「転」と「結」を迎えるのかは、自分自身の人生にバトンパスされることになります。

 

歌の中の「僕」のように、この「BAN」の歌詞も自己弁護の一つの材料として「やっぱり皆そうなんだ。自分もこのままで良いんだ!」とそのままの人生を送っていく場合もあるでしょう。

 

ですが、「この『僕』の葛藤には少しは共感するが、こんなダメ人間は嫌だな。何か少しでも変えていこう。」とこれが「転」のきっかけになる人もいると思います。

 

そういった意味で「BAN 歌詞 ひどい」と検索候補に出てしまうほど、否定的意見がある「BAN」ですが、歌詞がひどいというより、「僕」の人間性に対して多くの人が「ひどい」と嫌悪感を感じているのでしょう。

ですが、その嫌悪感が強ければ強いほど、「自分はこうなりたくない」と「転」のきっかけになります。

 

無理に一曲の中に「起承転結」のハッピーエンドまで求めてしまうと、色々な歌詞が破綻したひどい曲に思えるかもしれません。

 

しかし、悩みながらも変化を受け入れられず、ダメなままでいる「僕」を見て、多くの人が「内省」をするきっっかけとなるのであれば、ファンの人生をハッピーエンドにする素晴らしい曲だと言えるでしょう

 

ぜひそういった視点をもって何度も聴いてみてくださいね。

 

最後に

ネット上のBANの歌詞の解釈には部分的な歌詞だけを取り出して論じたり、始めから自分の期待するストーリーがあって、それに当てはめていったりする論じ方が多く見られたので、それらとは違ったアプローチになればと思い、書いてみました。

 

他の方が試みていたような欅坂46時代からの流れを踏まえたり、メンバーの心理、ファンの心理に絡めてみたりという論じ方にも挑戦してみたいところでしたが、「言葉に忠実に読む」というだけでかなりな分量になってしまったので、それらの視点は他の方に譲り、今回はこのくらいにしておきます。

 

長文をお読みくださりありがとうございます。

コメントなどいただけるとありがたいです。

 

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