うたこく(歌国)

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櫻坂46「櫻坂の詩」の深い歌詞の意味を考察!〜グループの歴史やファンの想いを紐解く歌〜

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櫻坂46の歴史や、ファンとの関係を感じさせる曲

「櫻坂の詩」は、櫻坂46の2ndシングル『BAN』の通常版に収録されています。ライブでは、最後にファンと一緒に(今は声出しができませんが)歌う曲になっています。

そんな位置づけのせいか、歌詞の端々から欅坂46→櫻坂46というグループの歴史や、ファンの想いなど色々なことが思い起こされます。

今回は、そんな

■歌詞から思い出されるグループの歩み

を読み解いていきます。

まだ、曲を知らない方は、こちらから聴いてみてください。

www.youtube.com

 

目次

歌詞に沿ってストーリーをチェック

有観客でライブが出来なかった1年9ヶ月

当たり前だと思ってた普通の日々が
当たり前なんかじゃなかったなんて・・・
君と会えなかった今日まで
心にぽっかりと穴が空いてた

本当の寂しさって 誰もいないことじゃなく
大切な人と会えなくなること
何があったかなんて分からないけど
君ならきっと 乗り越えられるよ

この曲が発売されたのは、2021年4月14日ですが、前月の3月21日までは全国にコロナの緊急事態宣言が出されており、有観客のライブなどはずっと行われていませんでした。

遡ると、有観客で最後のライブを行ったのは、欅坂46時代の「夏の全国アリーナツアー2019」の最終日である2019年9月19日の東京ドームライブでした。
それからは、改名前最後のライブである10月13日の「欅坂46 THE LAST LIVE」も、改名後最初のライブである12月8日「櫻坂46 デビューカウントダウンライブ」も無観客での配信ライブでした。
※「櫻坂の詩」は、この「デビューカウントダウンライブ」で初めて披露されました。
その後、人数を限定して有観客のライブが行われたのは2021年6月16日の「櫻坂46 BACKS LIVE!!」であり、約1年9ヶ月ぶりとなりました。

この曲が発表された当時は、まだそんな有観客ライブ開催の見通しも立っておらず、「また生でライブが見られるのは、いつになるのだろう」と思っていた時期です。

当たり前だと思ってた普通の日々が
当たり前なんかじゃなかったなんて・・・
君と会えなかった今日まで
心にぽっかりと穴が空いてた

歌詞のこの想いは、コロナの中、世界中の人々が感じていたものだと思います。

ライブや様々なイベントなど、グループとファンの想いを表したものでもありますし、それ以外の様々な日常生活でも「人と繋がる」ことが難しくなったコロナ禍の情勢を思わせます。

本当の寂しさって 誰もいないことじゃなく
大切な人と会えなくなること
何があったかなんて分からないけど
君ならきっと 乗り越えられるよ

この部分は、欅坂46「キミガイナイ」の「本当の孤独は誰もいないことじゃなく 誰かがいるはずなのに 一人にされてるこの状況」を思い出させます。

コロナ禍の現在、会いたい人がいないのではなく、いても会えないという状況が長く続いています。それは櫻坂46メンバーとファンとの関係にもあてはまります。

この曲は全体的に、ファンである「僕ら」が、櫻坂46である「君」を見守り、応援するという構図になっていますが、時折「君」がファンで、櫻坂46がそれを応援しているように捉えられる歌詞も出てきます。
※「櫻坂46」とはグループ全体のことを浮かべる人もいるでしょうし、一人一人個別のメンバーを浮かべる人もいると思います。そのどちらもが、この歌詞では当てはまるでしょう。

ここも、「君」を櫻坂46と考えると、思い浮かぶのは、欅坂46からの改名前後にそれぞれ卒業していったメンバーや、色々な想いを抱えて、改名を受け止めたメンバーを励ます歌詞になります。

「君」をファンと考えると、個々それぞれの事情までは詳しくは分からなくても、櫻坂46がファンのことを励ましてくれている構図になります。

「二人セゾン」を彷彿とさせる歌詞

満開の桜の木を 一度だって忘れたことはない
春が過ぎて花が散っても 夢は繰り返しここに咲くはず
ふと思い出すように 僕らはこの坂に集まって
君のこと語り合えば また会える気がしてくるよ

サビのこの部分は、欅坂46時代の名曲の呼び声が高い「二人セゾン」の歌詞を彷彿とさせます。「二人セゾン」には

花のない桜を見上げて
満開の日を想ったことはあったか?
想像しなきゃ
夢はみられない
心の窓

春夏秋冬 生まれ変われると
別れ際 君に教えられた
という歌詞がサビの直前に出てきます。
「二人セゾン」は、欅坂46の3rdシングルで、2016年11月30の発売ですから、実に4年越しとなりますが、この歌詞を頭に浮かべたファンは多くいたのではないでしょうか。
「二人セゾン」の時代は、「サイレントマジョリティー」での鮮烈デビューから、様々に話題にはなっていましたが、デビューからも半年程度しか経っておらず、「満開」と言えるようなグループの絶頂期は、まだまだ想像上の「夢」でした
そして、それから4年。様々な苦労・感動・新メンバーの加入などの歴史を経ながら、欅坂46は「満開」とも言える人気を誇るアイドルグループへと成長しました
しかし、人気が大きくなり、規模も大きくなるほどマイナスの話題も取り上げられることは多くなりますし、メンバーの心の負担も大きくなっていきます。
穏やかな春が過ぎ、花びらが散り始めるように、グループは「夏・秋・冬」の時代を迎え、改名へと至ります
改名を機に離れていったファンもいたと思いますが、それでも多くのファンは応援を続けています。
「満開の桜の木を 一度だって忘れたことはない」というのは、「欅坂46時代を忘れない」という意味ではなく、「欅坂46時代から流れ続ける、このグループの良さはなくなっておらず、ファンもそれを応援し続けている」ということだと考えます。
「この坂」とは、どこでしょうか?東京には「けやき坂」と「さくら坂」がすぐ近くに実際に存在します。それは、改名発表当時も「けやき坂の角を曲がるとさくら坂」と話題になりました。
※欅坂46時代、不動のセンターだった平手友梨奈さんのソロ曲に「角を曲がる」という曲があります。
「けやき坂」に集まるのも良いですが、この先何年も経った時に「さくら坂」に集まって、満開の櫻坂46を思い出す方が、イメージには合っているように思います。むしろ、そのどちらも含んでいると考える方が、ここでは良いのかもしれません。
また、サイドストーリーとしては、「この坂」を櫻坂46自体と考え「櫻坂46のファンとしてライブなどに集まれば、もし離ればなれになってしまった人とも心が通い合える」という意味もあるかと思いました。

見守ることしかできない

誰にも言えない悲しいことだってあっただろう
遠くから見てて心配した
僕らにできることは何もなくて
君自身が立ち上がるのを待ってた
ここも基本的には「僕ら」がファン、「君」が櫻坂46だと考えられます。
欅坂46時代からの5年間、様々なニュースを見たり、メンバーがブログで想いを綴っていたりしても、ファンは基本的には何もできません。ライブや握手会(現在はミート&グリート)やメッセージなどで応援をする程度で、メンバー自身が進んでいくのを見守るしかありません。
期待を込めて考えれば、それぞれのファンが落ち込んでいる時に、櫻坂46メンバーがこのような目線で見守ってくれているとも解釈できるでしょう。

二人セゾン第2章

満開の桜の木は 夏秋冬の風に吹かれ
野ざらしのその枝に何を待ち続けてたのか?
通り過ぎる人たちがあの日の花を忘れても
次の春の景色を 僕らはずっと思い浮かべてた
先に書いたように、欅坂46に、グループは春から冬の時代まで色々な経験をしてきたと思います。CDがなかなか出ない時期もあったり、メンバーのスキャンダルや卒業が相次いだ時期もありました。
それでもグループは「解散」という選択肢はとらず、改名をして活動を続けてくれています
「通り過ぎる人たち」とは、話題となるようなニュースには反応するけど、メンバーの一人一人のことなどまでは知らない「世間一般の人たち」のことでしょう。
欅坂46と櫻坂46の関係を知らない人の方が多いのではないでしょうか。
(私も、坂道グループ以外は区別がつきませんし、それは仕方ないと思います。)
それでもファンは、もう一度櫻坂46として満開の春を迎えることを信じています

メンバーの一人一人がグループを創る

なぜ人は桜をこんなに愛するのか
胸が震える 懐かしさに
一つ一つの花びらが肩を組むように
桜は満開になるのさ
櫻坂46を愛する理由としての「懐かしさ」が具体的に何を表しているのかは分かりません。
もしかしたら欅坂46時代を思い出す部分に「懐かしさ」を感じる人もいるでしょうし、自分の青春時代を思い出すような「懐かしさ」を歌詞の中に見出す人もいるでしょう。メンバー一人一人が頑張っている姿自体が、自分自身の体験と重なって「懐かしさ」となるのかもしれません。それはファンによって様々で良いと思います。

「花びら」はメンバーのことを表していると考えられます。森田ひかるさんは櫻坂46としてのデビューシングル発売にあたってのブログ
一枚一枚の花びらが可憐で逞しい
グループになりたいです。
と綴っています。メンバーが時折描く桜の絵でも、花びらがメンバーの数に合わせて描かれていることが多くあります。
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左→小林由依さんの2020年10月のグリーティングカード 右→2021年10月、Mステ出演時のサイン
左の小林由依さんの絵では、緑の葉の枚数がデビュー時や2期生加入時の人数、落ち葉が卒業メンバーの人数、青い蝶が日向坂46のメンバー数に合わせて書かれており、桜の花も、この直前に卒業を発表した石森虹花さんと佐藤詩織さんを含めた28人に合わせて描かれています
右の絵では、Mステで披露した「流れ弾」の歌唱メンバー数である14人に合わせて花びらが描かれています。この時、メンバーの一人である小林由依さんは休養中であり、番組にも出演していませんでしたが、しっかりと花びらに含まれているところに愛情を感じます。

「桜の花」は一つ一つの花びらが集まって創られています。
現在、櫻坂46は一人一人がモデルや、外番組など活動の幅を広げ、個人個人の力をつけながら、それらが団結することで、グループ全体の力を上昇させていっています。
これからも色々な季節を経験しながら、きっと「満開の春」を迎えた姿を見せてくれるでしょう。3rdシングルも名曲揃いで、これからの活躍も楽しみです!
※これを書いている2021年10月22日に、1期生としてグループを引っ張ってきてくれた守屋茜さんと渡辺梨加さんの卒業が発表されました。「桜はいつか散るからこそ美しい」という儚さを感じています。とても寂しいですが、これまで6年間、本当にありがとうございました。これからも応援しています。

最後に

長文をお読みくださりありがとうございます。

他の曲の考察は全て、基本的にグループの歴史などとは切り離して、歌詞の世界を言葉に忠実に読み解いていくスタンスで臨んでいるのですが、この曲だけは無理でした。

歌詞の「僕ら」というのも、ファンが一緒に歌う唯一の曲として考えられていると思いますし、そうなるとこれまでの6年間を踏まえざるをえません。

一人のファンとしての個人的な想いが入ってしまっているところも多い考察ですが、1つの考え方として楽しんでいただけたらと思います。

Twitterもやっています

 櫻坂46の他の曲はこちら  ↓   

utakoku.hatenablog.com