うたこく(歌国)

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櫻坂46「最終の地下鉄に乗って」の深い歌詞の意味を考察〜大人になるって?暗い言葉の中に見える希望〜

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「最終の地下鉄に乗って」はどんな曲? 

「最終の地下鉄に乗って」は櫻坂46の1stシングル『Nobody's fault』に収録されています。

森田ひかるさんがセンターを務めている曲で、厭世的な雰囲気の歌詞に対して曲調は明るく、そのギャップが面白い曲です。ネット上では名曲の呼び声も高い一曲ですね。

 

欅坂46時代の「山手線」に続く、電車モチーフの曲で、それとの共通点も感じられる曲です。

 

今回は、

■「最終」の「地下鉄」は何を意味しているのか?

■「大人」になった「僕」

■「これからの人生 期待なんかしてない」に込めた心情とは?

を中心に考えていきます。

 

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目次

  

「最終」の「地下鉄」は何を意味しているのか?

最終の地下鉄をいつも選んで乗って
ガランとしている車両に立ってると
本当に孤独になった気がして来る景色のないトンネルは人生みたいで
騒々しい音を立てて過ぎるだけ
うっかり 下を向いてたら終点になる

「僕」が最終の地下鉄を「選んで」乗っている光景から歌は始まります。

後半でバイト終わりの話だと分かりますがここではまだ出てきません。

 

自分で終電を選びながらも、いざ乗ってみると現実の孤独感が一層増してきてしまう・・・。

泣けるドラマを見ながら自分の悲しみを増幅することで、自分自身の心と向き合う感覚に似ているでしょうか。

 

地下鉄の、変化がなく暗い景色がずっと続いていく様子がここでは人生に喩えられています。

欅坂46の「山手線」でもグルグルと同じような所を回り続ける様を人生に喩えていましたが、ここでは周りが真っ暗な分、「山手線」よりも虚無感が強いかもしれません。

※「山手線」の主人公は「私」ですが、電車の窓におでこをつける癖は「僕」と共通しており、この曲を「山手線」の続編と読む解釈も面白いと思います。

 

「最終」という言葉には「人生はやり直しがきかない」ことへの気づきが込められているように見えます。

「うっかり 下を向いてたら終点になる」という言葉も、「日々を漫然と過ごしていると、あっという間に人生は終わる」という意味でしょう。

 

青年期までの「このままの日々がなんとなく永遠に続いていくのだろうな」という感覚から、大人になってくると「いつかは人生も終わりがくる」という意識が芽生えてきます

 

この歌詞の端々からは「僕」が「大人」になっていることが感じられます。

 

「大人」になった「僕」 ~「僕」にとって他人とは~

■「同じ車両に誰かがいたって シンパシーなんて全く感じない」

と歌詞に出てくるように、他人に興味がない「僕」ですが、その存在を否定していたり拒絶している訳ではないようです。

 

■「駅のベンチには酔いつぶれかけた サラリーマンが愚痴を言ってたけど
明日になれば いつものように ラッシュアワーに揉まれてる」

というサラリーマンの描写は、「つまらない大人」の姿を描いたように見えますが、後半の歌詞は「それでも、毎日やるべきことをしっかりとこなしていく」という社会人のたくましさといったものも見えてきます。

※このサラリーマンは「最終」便を乗り過ごしていますから、近くのホテルか何かに一泊して会社に向かうのでしょう。

誰もいない世界へ行きたい そんなこと思っていた
あの頃の僕って病んでいたのかな

他人との関わりを拒絶し、完全に世の中から一人になりたいと考えていたのは「あの頃の僕」であって、過去の話です

誰がどこにいて何をしていようと
僕にとっては全然 興味ない ああ
大事なことはこれからの行き先
この地下鉄をもし乗り過ごしたら
どこまで行ってしまうのだろう
もう戻ることはできないのに…

今の「僕」も他人に興味がないと語られていますが、それは、それ以上に大切な「自分の人生」に向き合っているからだと読めます


「他人を拒絶したい」という思いは、周囲の人から自分の生き方に口を出されることに対して、「自分」という存在を守ろうとする一種の防衛本能かもしれません。
ですが、そんな他人のことを参考にするのも無視するのも、主導権は自分にあると気づくと人生は変わってきます。


そういった意味で「僕」は既に「大人」への第一歩を歩み始めているのではないでしょうか?

「これからの人生 期待なんかしていない」に込めた想いとは?

全体的に無気力な厭世観が漂う印象の歌詞ですが、そんな中でも所々に「全てを投げ出している訳ではない」ことが読み取れる箇所があります。

①本当に孤独になった気がしてくる

②うっかり 下を向いてたら終点になる

③僕にはそれが不思議だった

④何が嫌ってわけじゃないけど 無理をして微笑むしあわせなんて要らない

⑤大事なのはこれからの行き先

⑥だけど今すぐ死んだりはしない

⑦僕はいつになれば 違う時間帯の 生き方を選べるんだろう

①~⑦までどれも暗い雰囲気の言い方ながら、その言葉の裏には「捨てきれない希望」が見え隠れします。

 

①は裏を返せば「本当に孤独ではない」ことの表れです。

②は本当にヤケになっていれば、乗り過ごしても終点まで行っても関係ないはずですが、ここにはそうはならないようにという意志を感じます。

③この「不思議だった」が過去形なのは、「あの頃の僕」が思っていたということでしょう。大人になった「僕」はそんな我慢しながらの日々の中にも生きていく楽しさを見出しているのではないでしょうか

④「何が嫌ってわけじゃないけど」というのはこの歌詞全体をよく表していると思います。絶望するほどのことも起きないけど、ドラマチックでもない「日常」を生きていく意志こそが、この歌のテーマだと思います

「僕」は幸せがいらないとは言っていません。無理をして人に合わせて、自分を取り繕うような見せかけの幸せを拒否して、それとは別の本当の幸せを追い求めていると言えます。

⑤前にも書いたように、ここにも他人の言い分には耳を貸さず、本当の幸せを求める意志が感じられます。

⑥この直前に「僕にはそれが耐えられない」とあり、死を予感させますが、「今すぐ死んだりはしない」と直後にそれを否定します。では、どうやってこれらの折り合いをつけていくのでしょうか?

ここのサビは1サビと大きく違い「まだ知らない世界へ行きたい」と未来を向いた言葉で始まっています。「ドキドキとする何かなんて ないってわかってしまった」と言いながら、まだそんな世界もあるのではないかとぼんやりとした期待が「死んだりはしない」という、かすかな生への原動力になっているのではないでしょうか。

そして⑦ですが、「僕」が生き方を選べる可能性があることに気づいている事が示されます。

見返してみると「僕」は最終の地下鉄も自分で「選んで」乗っていました。

今は周りの環境など様々な要因で、変わらない生活を続けている「僕」ですが、別の生き方を手に入れるのは自分の選択次第だという人生観はとても前向きなものだと言えます

 

この歌は「これからの人生 期待なんかしてない」と終わりますが、ここには「それでも僕は生きていく」などの静かな意志が続きそうです。

 

子ども時代に期待していようなドラマチックな大冒険はないかもしれないし、毎日楽しいことばかりではないけれど、それでも前を向いて生きていく。

 

これこそが、この歌の「僕」がたどり着いた境地であり、「これからの人生 期待なんかしてない」に込めた想いではないでしょうか。

 

ネット上でも、この歌に「自分を肯定されている気がする」というコメントが多くありました。それは、ここまで考察してきたように、一見、暗く見える言葉の端々に「僕」の前向きな気持ちが隠されているからだと思います。

 

たくさんの人が、この歌に力をもらえそうですね!

最後に

いかがでしょうか?

長文をお読みくださり、ありがとうございます。

 

「あの頃の僕」というのがいつのことなのか?ということが一番の疑問でこの曲について考えてみました。解釈は人によって様々な形があると思いますが、何か少しでも参考になれば幸いです。

 

ぜひ、ご感想やご意見もお待ちしています。

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